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ただそれだけのもの

 タイトルとサムネイルを見てすぐ「後で見る」に保存し、視聴を楽しみにしていた。お便りを募ったり、コーナーを設けたりせず、ただ会話をしている。「卒業式の日、自分の知らされていない先生へのサプライズを横目にひとりで帰宅した」という例のエピソードが端的に示すように内向的な雰囲気がある酒寄くんと、対照的に溌剌としている早乙女さんの組み合わせが、両者の魅力を引き立てあっているように見えて楽しい。酒寄くんが憧れの先輩よろしく「エモ」の持論を展開したり、配信の才能などといった深めの話題のなかで自分の考えを明かしたりすると、それに対する受け応えのなかで早乙女さんの内面も垣間見える。今後もすぺしゃーれのメンバーをひとりずつ招いて喋る予定らしく、昨日には「雲母たまこと喋るだけ」の配信があった。こちらはまだ観られていない。
 同様の配信としては、緑仙の「お話するだけ」やリゼの「通話中」がすぐに思い浮かぶ。最近なら「ゆめうつつ」も、話し相手は変わらないが、話題を決めずに会話をするという意味では近い。ソロでいえば倉持の「だけ雑談」も、方向性は同じだろうか。しかし、この「だけ」という副助詞が、私には何か象徴的なもののように思える。
 そこからは一種の自嘲や、韜晦や、予防線のようなニュアンスが感じられる。いつか雑キープが、雑談コラボが減っていることを憂うようなトーンで語っていたとき、やしきずは「業界が成熟した結果、雑に集まりづらくなった」と言っていた。あるいは誰だったか忘れたが「台本なしに他の配信者を呼ぶ勇気はない」という言葉も耳にした覚えがある。きちんとしたものが増えて、手の込んでいないものが結果的に低位へシフトするのは当然のことだ。緑仙が「お話するだけ」を2019年の時点から始めているのも、初期から頻繁に企画を組んでいたことを思い出せば腑に落ちる。だからこそ、事務所が成熟してからデビューした酒寄くんが「喋るだけ」の配信をすることは貴重に思えた。配信の最後の、「これぐらい緩くたっていいと思うんだよな」という言葉が頼もしい。それに対する早乙女さんの、「颯馬といると普段出さないようにしてる深いところがちょっと顔を出す」という返答もよかった。
 ここに書くのも憚れるようなことで、最近は流石に聞かなくなったが、VTuberへの揶揄として「絵をつけただけ」という言い回しが紋切り型になっていた時期がある。そこには3Dを中心として新しい世界が広がっていくことを期待していたひとたちの失望も表れているのだと思うが、むしろ私は「絵をつけただけ」で、あらゆるものが変わって見えることに驚いていた。こちらも最近公開された、大槻ケンヂとジョー・力一の対談を聞いているとき、音楽や文芸の疑いようもない能力を持っているオーケンと会話している力一は、はたして何によって、ここまで来られた人間なのかということを考えた。高い技術や目を瞠る才能、用意周到なエンターテインメントが評価されて然るべきである一方、「それだけのこと」で何かが変わり、以前までなら見落とされたり、一蹴されたりしていたかもしれない「それだけのもの」が有している輝きを、察知できるようになることもある気がするのだ。

20250728 日記