7年ぶりに配信を始めた語部紡は、元号が平成から令和に変わっていることに驚く。それを私たちは、成仏していた幽霊なら当然のこととして受け容れ、次に、最近はAIが生活に浸透していることや、TwitterがXに変わって久しいことを、まるで時間旅行者に語りかけるかのように伝える。
VTuberの非現実的なプロフィールは、それを語る者だけでなく、信じてみせる者も含めて成り立つ。挙げればきりがない矛盾をさしおいて、話に付きあいつづける。その営みは、自覚的であれ無自覚的であれ、常に軽微な創造だった。相手が幽霊であるということを、星を繋いで無理があるイメージを立ちあげるように承認する。すると私のなかに、幽霊を見ている私という非現実的なプロフィールが生まれる。この共時的で日常的な協働関係は、閉じられた物語の読解や、ロールプレイを要するゲームへの参加で結ばれるものとは性質が異なる。
単に「話が面白いひとの配信を観る」以上の、刺激的な何か。それは、少なくとも私にとって、その営み・関係のなかにあった。視聴をとおして自分なりに相手の像を結び、同時に相対する自分を仮構する。安い六畳の部屋から、憂鬱な通勤電車から、そこに居る私自身から、少しだけ離脱する。その反復と反芻が、かれらの存在を確固たるものにしていく。だからVTuberを描き、また書き留める行為は、視聴の延長線上で自然に待ち受けているのだろう。