#劇場版スタァライト オーケストラコンサート revival
— 少女☆歌劇 レヴュースタァライト (@revuestarlight) January 7, 2023
お越しの皆様、ありがとうございました✨
パシフィコ横浜の皆様をスタァライトしちゃいました❣
今年も #スタァライト は更に頑張っていきますので、
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私はしばらく「現場」的なものを遠ざけていた。矛先が自分に向くことの怖さ、ある種の共犯関係が結ばれる不安、一回きりの緊張感が共有される疲労などが理由である。それから液晶を介した間接的な関わりのほうに重心が傾くようになった。いわば他人事でいたかったのだ。
昨日、スタァライトのオケコンを観て、その辺りの認識に少し変化があったので書いておく。よく考えたらアニメに関連したイベントに出向くのは初めてだった。人間からアニメの声が出ている……という素朴な感動からの始まりである。また、大きなホールでなにかを鑑賞するのもひさしぶりだった。過去に足を運んでいたライブなどは小・中規模のものが多かった。
二階席という距離の影響もあるのだろうが、鑑賞しているあいだ、先の怖さや不安、疲労のようなものは感じなかった(座席との相性が悪く腰は痛んだがそれはべつの話である)。舞台は、言ってみれば二次元的なものに見えた。スクリーンに絶えず映し出される劇場版の映像と、劇伴から喚起される作品の記憶が、舞台の人たちの演奏・歌唱の生々しい身体性と混ざりあい、空間をどこかに連れてゆく。たとえばスクリーンに神楽ひかりが現れて、舞台の三森すずこがホールを支配するように歌い、青色の光線が、スモークをつらぬいて会場を立体的にめぐるとき、私は、2.5次元という言葉の意味をようやく実感していた。
会場や位置、内容、演出によって舞台は、直接的に関係する場所ではなく、もっとも近い間接の場所になりうるのだと思う。虚構性の薄膜に限りなく接近した地点。そのような中間領域の感動は、私がふだんVTuberを観ているときの感覚とも遠くないものだ。他人事のまま近づいたり、離れたりしているうちに、少しずつ捉えられたものが、今度は自分を内側から突き動かす。今年は、たまには小さな部屋を出て、際限ない音と光の現場に身を預けるのもいいかもしれない。細部の感想はきりがないので省くが、大場ななの狂気が憑依したかのような小泉萌香さんの立ち振る舞いが、いまも脳裡に浮かんでいる……。