日光室
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20221223

19時台に終わるはずだった予定が20時過ぎまで及び、「よいお年を」もそこそこに帰りの電車のなかで視聴を始めた。ちょうど一曲目が終わったところだった。その時点でiPhoneの電池残量は20%を下回っており、モバイルバッテリーも持たずに最後まで観られるのだろうか……という不安が脳裡にはあった。

途中からiPhoneのテザリング機能を経由してiPad(Wi-Fiモデル)で視聴する、バッテリー消費を少しでも抑えるための涙ぐましい努力もしていた。不便極まりなかったが、そうした困難性にはどことなく平成の雰囲気もあり、このふたりを観る状況としては悪くないのかもしれないと思った。そう思わないとやっていられなかったという噂もある。ただ、不便さがある種の特別さをもたらしていたことは確かだ。

委員長のだじゃれくりえぃしょんや名取のウラノミト(!)の興奮を思わずツイートしてバッテリーはまた失われていく(実況ツイートを通して視聴体験を実感することに慣れてしまった人間)。そんなことをしているからRAINBOW GIRLのAメロという大事なところで充電が底を突くわけだが、曲が曲だっただけに、歌声がふいに途絶えたあとの真冬の最寄駅は劇的に感じられてややおもしろかった。

仕方がないからRAINBOW GIRLの歌詞を思い出しながら家まで自転車を漕ぐ。極めて納得感のある選曲でありながら、ぴったりはまる内容かと言えばじつはそうでもなく、いまのVTuberや、それに向き合う私たちの有り様が、反証的に明かされるように感じた。彼女たちの言葉は「決められた台詞」ではないし、私の帰る部屋も「箱ばかり」ではない。その「ずれ」から現在が照射される。VTuberがカバーすることも少なくない楽曲だが、そのようなことを考えたのは初めてだった。一息ついてからパソコンを立ち上げて、改めて視聴するふたりのふざけた仕草や、生きいきしたパフォーマンスは、やはり「二次元の女の子」よりも「インターネット女」と呼ぶに相応しいと思った。

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